はじめに
「人はどん底に落ちても、必ず立ち直れる」。私が経験した倒産劇と再起までのプロセスをお話ししました。以下は概略です。
倒産までのカウントダウン
経営理念と経営戦略のミスマッチ
私が経営に携わっていたタクシー会社では、掲げるべき経営理念が曖昧で、日々の意思決定がその場しのぎになっていました。結果として経営陣も現場も判断軸を見失い、組織全体の方向感覚が揺らいでしまったのです。経理担当者の横領が発覚し、資金繰りは一気に崩壊。慌てて短期的なコスト削減に走ったものの、売上拡大策は後回しになり、悪循環から抜け出せませんでした。
取引先との信頼喪失
コスト圧縮を急ぐあまり、取引先との価格交渉では相手の利益を大幅に削ってしまいました。この姿勢が原因で関係は急速に悪化します。売上機会がさらに失われ、数字以上に“信頼残高”が減っていく恐怖を痛感しました。
従業員の士気が低下
資金難はすぐに従業員の給与減額や遅延に直結し、社内の士気は急降下しました。会社の将来に不安を抱いた優秀なドライバーから順に離職が続き、生産性とサービス品質が低下。社員の士気の低下は、顧客満足度の低下となって売上に跳ね返り、倒産へ向けたカウントダウンが加速しました。
資金ショートと倒産
こうして資金も信頼も底を突き、創業1949年のタクシー会社(車両99台/売上14億円/社員281名)は営業停止という幕切れを迎えました。倒産は一瞬ですが、そこに至る過程は数え切れない小さな判断ミスの積み重ねだったのです。
ゼロからの再起動
責任とプライド──自己破産を選ばなかった理由
倒産後、私には自己破産という選択肢もありました。しかし「1円でも多く返済し、関係者の信頼を取り戻したい」という想いが勝り、分割返済の道を選択しました。自宅を差し押さえられながらも銀行と粘り強く交渉し、債務を返済し続けた経験は、自らの責任感とプライドを再確認する試練となりました。
無給修行で実務を学ぶ
次に取った行動は、財務コンサルタントの“カバン持ち”として無給で働くことでした。1年間、実地で数字と向き合い続け、技術と心構えを吸収。生活は妻の収入と貯金で支えられ、3人の子どもを育てながらも「学び直し」に集中できたのは、家族の理解と支えがあってこそでした。
独立初期の小さな一歩
実務を身につけた私は、旧知の経営者を一人ひとり訪ねて小口案件を受注し、少しずつ信頼と実績を積み上げました。同時にハローワークの窓口アルバイトで多様な相談を傾聴し、本音を引き出す「傾聴力」を磨き上げました。この地道な活動が、のちのビジネスコーチングの礎となります。
ニッチ戦略との出会い
転機は、藤屋伸二先生から学んだニッチ戦略でした。大手と真っ向勝負するのではなく、経営者と“一対一で伴走”する顧問型モデルを目指し、専門特化と深い関係性を武器に差別化を図りました。ここで初めて、自分の強みと市場の隙間が合致した感覚を得たのです。
セミナー講師モデルの確立
さらに北海道内の経済団体でセミナー講師として登壇できるチャンスを探しました。初年度11本だった講演は、4年目には年間100本超へと拡大しました。これにより知名度が飛躍的に向上し、顧問契約やコーチング依頼が自然と増えていきました。
ビジネスコーチへ進化
あるコンサルタントの「上から目線」の態度に疑問を感じ、対話型のビジネスコーチングへシフト。経営者の悩みやビジョンを深く聴き出し、伴走者として行動変革を支援するスタイルを確立しました。
まとめ──七転び八起きが教えてくれたこと
わたしの場合、倒産は決して終わりではなく、学び直しと信頼再構築のスタートラインでした。私の経験が、読者のみなさまの「次の一手」を考えるヒントになれば嬉しいです。
わたしの話を聞いてみたい方は、お気軽にお問い合わせください。
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